JOURNAL

Crafting furniture for people in the space
JOURNAL #16
DATE : Jun 11, 2020
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JOURNAL #16 Jun 11, 2020

Crafting furniture for people in the space

- 空間と人を想像して作る家具 -
益子の農村部にアトリエと自宅を構える木工作家の高山英樹さんが、京都にこの春オープンする「Pilgirm Surf+Supply KYOTO」に使う家具を場所に合わせて制作してくれることになった。

益子を拠点に木工の作品を作る高山さんの連絡先は、インターネットには載っていない。あるとき、<Pilgrim Surf+Supply>ディレクターの泉貴之が、高山さんの作品を見られるかと益子を訪ねることにした。ショップなどを回ったが、高山さんの作品には出会えなかった。立ち寄ったイタリアン・レストランで、高山さんのことを聞いた相手が、妻の純子さんだった。「縁がなければ注文は受けない」という高山さんと会う機会を得て、制作をお願いすることができた。
※この取材は2020年2月に行われたものです。

Phography:Dai Yamamoto
Text:Yumiko Sakuma
高山さんが、妻の純子さん、息子の源樹さんとともに暮らすアトリエと住居は、益子の中心から少し車を走らせた農地の奥にあった。そもそも、木工の家具を作るようになった経緯についてまず聞いた。
もともと能登の出身で、80年代、ファッションが元気だった頃の東京で洋服作ってたんです。洋服と言っても、今のスタイルとちょっと似てるんだけど、頼まれてステージ用の一点物の服を作ったりしていた。依頼を受けて、型紙から作り、縫製して、商品を納める、というスタイルでね。
そうやって、80年代後半から90年代前半、商品を納めてお金をもらったら旅行に行く、という生活をするようになったんです。バリやネパールなんかにも行ったし、クラブ文化全盛期のニューヨークから、ニューオリンズの哀愁を味わいつつマイアミまで行って、そのままメキシコのユカタン半島経由で、バスに乗ってグアテマラまで行ったんです。2ヶ月という短い時間に、最先端の場所から、薪を背負った人が道端で昼寝をしてるような場所まで、生活の幅を見てしまったたら、昼寝はしたいけれど、ニューヨークのような場所とも付き合いたい、勝手なことをやりたいと思い始めた。
  • 世界中でいろんな人と出会い、こういう生き方もあるのかと教わる中で、場所を選べば、自分の生き方は自分で決められるんだ、ってリアルに考える瞬間がやってきたんです。
    仕事も、だんだん服からディスプレイに、オブジェに、と作るものが変わっていき、そのまま友達の店の内装を行ったりするようになっていて、そこからだんだん木を扱うようになって・・・親父が大工で、子供の頃、手伝ったりしていたのですが、大人になってやってみたら、小さい時の聞いた音や匂いなどを懐かしいと思う気持ちが浮かんできました。やっぱり好きなんだな、木のことをやろうってなっていったんです。
旅をするうちに"暮らす"ということが土地に根付いたライフスタイルを実践したいと思うようになった。東京ではない場所を、と思い描くようになったという。
東京で木工をするにはスペースや材料の問題があるし、旅をするうちにセルフビルドなんかに興味を持つようになって、自分がしたい暮らしをするにはどこがいいんだろうと探すようになったんです。まずは宇都宮で農業をしたりしながら益子に来るようになった。
益子には、アメリカの西海岸にルーツを持つクラフトや民芸の影響を受けた作家、ヒッピー的な生活をする人、芸術家といろんな移住者が入り乱れながら、ひっそりとそれぞれの暮らしをしているという状況があって。
最初のきっかけは、産業革命による技術の進化による揺り戻しから民藝運動が起きて、濱田庄司がイギリス留学後に益子に暮らすことを選んだことにありました。濱田は積極的にクラフトについての布教活動をしたから、海外から作家が来るようになったし、益子はクラフトの聖地のような場所になっていたんですね。
僕が初めて来始めたときは、お茶を飲むようなところもなかった。土地との縁ができていくなかで、せっかくだったら自分たちで作ったほうがいいよねと、「starnet」ができて、僕らも「Jam Lounge」というオーガニックのカフェをやったりして。当時はカフェブームだったから、東京で活動してきた人たちが遊びに来たりとか、どんどんいろんな人と出会いながら、益子が面白いって思うようになった。
そんなときにたまたまこの土地を見つけてロケーションに惚れ込み、ここに住みたいと思って。一度は断られたりもしたんですが、そのあと、人を介して持ち主に会えて、貸してもらえることになった。
益子に来る前は、何年か宇都宮で農業をやっていた。実家では農業もやっていたため、ここでも幼少期の思い出が生きることになる。
子供の頃、農業を手伝っていて、10時と3時のおやつが大層楽しみだった。だから楽しかったんです。この土地と建物を貸してもらえることになって、家屋は物置に、農具の物置だった場所をアトリエにしました。住む場所は建てることにしたのですが、中古のプレハブを準備して運んでくれば、1日でペラペラの箱の状態にはできるんです。そこからは中に住みながら、断熱材を入れたり、水道をひいたり、ペンキを塗ったりしていくんですが、大変だったけど面白かった。棚も、キッチンも、トイレも、宇都宮の解体工事から引き取ってきたリサイクル資材を使っています。その頃は、解体現場にお酒を持っていけば、廃材を譲ってもらえて、それをリメイクすることもできた。その後、古材ブームが起きて、今は、ゴミの処理が厳しくなっているから、業者でないと入れないし、最近は、木は近くの製材所で買っています。
自分の家具や暮らしへのアプローチは、多くの場所を旅して見た風景に大いに影響を受けている、と高山さんは語る。
  • 旅に出ていた後半の時期に行き着いたバリやネパールに、小さなTシャツショップやカフェがあったんです。それぞれの遊び心があって、西洋とアジアがちょうどよく混じってる感じ、規模感もちょうど良かったし、お金はかかっていなくとも、西洋的な価値観はあったから、ロケーションや風景を配慮しながら空間を作るんですね。
    そういうことを自分でもできないかと思って、"益子ウブド計画"なんて言って、土壁の店を作ったりしたわけです。空間というものは外の世界と連動して作らなければ意味がない。
若い頃、"昼寝をしながら作品を売れるような"環境に憧れた高山さんは、誰からも注文を受けるわけではない。それも自分の"暮らし"を含めた生き方をめぐる哲学に基づいている。
  • 作品の依頼を受けたときは、空間を見たいし、そこに置いた時の風景を想像しながら作る。依頼主がその部屋に立っていて、家具を見ながら「いやー、これいいですね。お茶でも飲みますか」なんて会話をしているところまで想像して、そこに向かっていくんです。正直デザインは二の次。人と空間、関係性、家具を置く空間とのバランスなんですね。だから「こういうテーブルが欲しいんです」っていう依頼は受けない。人間の繋がりで頼んでくれる人だったらやろうって思います。連絡先がインターネットにないのも、そのため。会いたかったら見つけてくれるだろうと。ここまで来てもらうこともある。家具は、必然性として生まれて行かないと面白くないんです。
    こういうことができるのは、この場所があるからです。お金が必要な暮らしぶりをしてしまえば、嫌な仕事をしなければならなくなる。ある程度のお金で無理せず生きていける、そういう暮らしをしたいんです。

Information

「Pilgrim Surf+Supply KYOTO」6月11日(木) ニューオープン

2020年 6月11日(木)、関西初出店で国内では東京・渋谷に続く2店舗目となる旗艦店「Pilgirm Surf+Supply KYOTO」を、京都市中京区に開業する複合施設「新風館」1階にオープンします。

詳しくはこちらよりご確認ください。

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