JOURNAL

NEW YORK'S FINEST:JOE FALCONE
JOURNAL #06
DATE : Sep 26, 2017
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JOURNAL #06 Sep 26, 2017

NEW YORK'S FINEST:JOE FALCONE

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  • マーティン・スコセッシ監督のニューヨークを舞台としたクラシックな映画"Mean Streets" (1973 年)の中で、ロバートデニーロが演じるキャラクター、ジョニー・ボーイ がハーヴェイ・カイテル演じる従兄弟のチャーリーに、ヘスターストリートに住むジョーイ・クラムス(Joey Clams's)宅でのカードゲームで全額をかけて負けてしまったために、その週の支払いができないと説明しているシーンがある。同映画のラストシーンは、ウイリアムズバーグブリッジのブルックリン側の麓で終るのだが、そこは私が初めてジョセフと出会った場所からそう遠くない。そんなきっかけで私はジョセフのことをジョーイ・クラム(Joey Clams)と呼ぶようになった。(ギャンブルとか借金まみれの生活とかと彼は全く関係ないけど) それから8年、ジョーイ・クラムがジョセフ・ウイリアム・ファルコンのニックネームとして定着していった。ベーコンとパン粉で味付けされたアサリで有名な料理の名前やこの映画に因んで、彼がアップタウンロッカウェイにある母の家の一部を改装して作ったサーフボード工場は"The Clams Casino"という愛称がつけられた。その場所はサーフシーンの目利き、サンディエゴのサーファー歴史家リチャード・ケビンや写真家アリ・マルコポロス、グラフィティーライターでIRAK crewのEarsnot等が集まる場となった。運が良かったらジョーのおばあちゃんがキッチンで作った自慢の家庭料理が振る舞われるディナーに招待してもらえるかもしれない。 (このインタビューは4月初旬に電話とEメールで行われた。) まずはRockawayのレジェンド、Dennis Farrellについて話そう。彼は君にものすごい影響を与えた人だと聞いたよ。
彼は君の初めての台作りを手伝ったんだよね?
そうなんだ。初めて台を作った時はホームセンターで買ってきた木材で作ったんだけど、デニスが形状や配置が合っているかを確認してくれたんだ。台をしっかり正しく作って、ボードを直角にして制作することができるようにするのは本当に大切なんだ。基本的に僕が作ったけれど、デニスが来ては僕の作業を観察して、どこが正しくてどこが間違っているかを教えてくれた。正直、デニスが実際にボードを作っているところに一緒にいたことはないんだ。彼がカンナをもつ姿さえ見たことがない。僕がシェービングに目覚めたのは、彼が裏庭で実験しながら作ったボードをビーチで見た時だった。彼はどちらかといえば僕を鼓舞してくれる存在だった。僕は独学だったから、試行錯誤を繰り返してきた。ベテランのサーファーからは僕は少し距離を置かれてる感じだったんだ。海に関して時々教えてもらったけれど、やはり壁を感じていたね。もしかしたら、彼らは僕が生意気な小僧だと思ってあまり教えてくれなかったのかもしれない。僕は後輩たちをケアするようにしているけど、当時僕の回りにいた大人たちは若者を育てようとする傾向がなかったね。彼らは自分自身の実力を証明することが最優先で、若い人たちを歓迎する感じではなかったんだ。サーファーシーンはいつも派閥で溢れていた。ベテランに名前を覚えてもらいたかったら、年中波が大荒れの日に海にでてなきゃいけない。高校生になるまではそういうことを僕はしなかったけどね。彼らの会話を盗み聞きして、彼らの技を目で確かめ、どこの沖に通い、どの並びやポジションをとるのか、見て学んだ。彼らの言葉から学んだものは少ないかもしれない。彼らの僕を見る目が変わり始めたのは、 25〜30枚のボードを作り終えて、グラッシングをしてもらってからだと思う。その頃から、僕がデニスやパット・リーンにリスペクトしているのと同じような視線を周りから 感じるようになった。
1960年代初期にロッカウェイでサーフィンをして育ったアンダーグランドのレジェンドたちは1990年代に入ると自分たちでボードを作り始めた。彼らはいまだにいい体つきをしていて、60代の今でも現役でサーフィンを続けている。ニューヨークサーファーでありボードシェーパー(作る人)でもある。ロッカウェイのアンダーグラウンドシーンといえば、マーク・アナヤだと言ってたとおもうけど、彼はどんな人?お気に入りのロッカウェイサーファーの一人だと言ってたよね。 

マークは僕にとってはいつも例外的な存在なんだ。消防士であり、トム・セナの娘と結婚した人。彼は休みの時はトムのビジネス(Rockaway Beach Surf Shop)の経営を助けていたよ。彼もロッカウェイの海育ちのOGだけど、誰ともつるんでなかった。でも、みんなから一目置かれていたよ。彼は寝てたとしても他のサーファーに勝てるくらい、サーフィンが上手かったからね。今でも彼が誰かとつるんでいるのを見たことないよ。普段は存在を薄め、ほとんど話さないけど、サーフィンとなるともうあり得ないレベルだった。ミステリアスな存在だったし、彼の内気な性格は興味深かった。僕と彼は内向性な部分が似ていたんだ。僕はサーフィンの実力では誰も驚かすことができなかったから目立つことはなかったけどね。彼のようにはいかないよね。

先日Tool Depotから連絡があったと聞いたんだけど、数年前にサンディエゴに旅行したことが本当に大切だったと言っていたね。
Richard KenvinやMike Eaton、Joe Bauguessとつるんでいたんだって?
マーク・イートン関係のすべてのことが最高だったよ。 工場が見れたことや、彼やジョー・バウゲスに会えたことが本当に嬉しかった。最近サンディエゴのTool Depotの友人に、マイク・イートンが発作を起こしていて調子が良くないって聞いたよ。

彼は本当に元気で活発で、こんなことになるなんて想像もできないから、本当に悲しくなった。マーク・イートンは僕にとってはクリントン・イーストウッドもしくはジョン・ウェインのような人間で、ひげを生やし、一目置かれる存在感なんだ。かっこよくて自信家で、おもしろくて素直で。僕が好きなタイプの男なんだ。リチャード・ケビンがイートンに会う時に工場に連れていってくれたんだ。 ちょうどウインダシービーチで乗ったばかりで、自分用に作った5'5のkeel fishのボードとカメラ持っていった。

その僕のボードにはまだ水滴がついていて、イートンが部屋に入って来たと同時に僕がボードをゴミ箱の上に置いたら、「おしい!そこでやめないで、そのゴミ(ボード)をゴミ箱の中に入れないと!」とイートンは怒鳴ったんだ。最初はびっくりして数秒の間、氷のように固まってしまったけど、その後爆笑に変わった。少し話して、自分の話をしたら彼は工場の中を見せてくれたんだ。かなり高品質でレース用の黒カーボンで包まれたパドルボードを作っていた。その後、イートンは僕にジョー・バウゲスに紹介してくれた。バウゲスは最初僕のことを信頼してなかった。彼のMini-Simmonsのデザインをコピーしてボードを作って、"実はバウゲスのシェーピング室で時間を過ごしたこともあるんだ"という広告文句を元に僕がビジネスを展開すると思っていたんだ。他の地元のシェーパーがしたようにね。
静かに僕はジョーを観察しながら彼の写真を撮った。この時、リチャード・ケビンはかなり長い間戻って来なかったから、自分のことなんてすっかり忘れてどこかに行ってしまったんだと思っていた。その当時は僕は若かった。年齢とは違う意味での"若さ"という意味だけど。すでにシェーピングルームでマニー・カロやジョッシュ・ホールと一緒に過ごしたこともあったし、マナーも知っていたけど、バウゲスは容赦なく僕に意見を言ってきて、実際に何度か注意もされた。「道具とテクニックの写真は撮ったらダメだ」とかね。僕は彼にただここにいてなにかを経験したいだけで、彼の方法を学んでいるわけではないよと伝えた。彼が2、3枚のボードをシェープしているところを見せてもらうと次第に彼がリラックスしていく 様子が伺えたね。当時の写真やマニーとジョッシュがシェーピングしに来た時の写真はラップトップに保存していたんだけど、そのラップトップがハリケーンサンディーの時に浸水しちゃって。個人的に一番の損失だね。パーになってしまった10年分の写真もこのインタビュー記事にはぴったりだったんだけどな。
The Casinoにいたマニー・カロとジョッシュ・ホールは...?
僕にとって凄くいい経験だった。NYでのフライフィッシングの最中で、マニーが僕の誕生日用にエキストラのボードをシェープしてくれたから、あれは確実に5月だったね。彼らは二人とも僕の家に滞在して二人とも10枚以上もボードを作って、僕が一つずつしっかり座って確かめた。その時僕は凄くSpeed Dialersにハマってて、 一枚ずつそれらのボードについてマニーに説明をしてもらった。 彼はいつも細かく全てを説明してくれた。彼がすべてを話す主義なところは、彼の人間としての器の大きさを表してるね。彼とジョッシュは二人ともカンナのマスターだった。僕は人がやってることを実際に見て学ぶタイプだけど、 彼らの手先をみることが一番多くを学べて吸収できた。だって、僕がやろうとしていることを実際にやっているんだからね。彼らが合計で20数枚のボードを作るのを見学することはまるでブートキャンプのようで、僕はそこから学んで本物のボード作りを始めないといけなかった。もう推測ゲームではなくてね。なにがやりたいか、どうやってやればいいか、わかっていた。そこからは、ゼロから何かに取りかる時はいつでも、プランを図にしてそれを空白の中にある形として見始めるようになった。
2015年まで話を飛ばすけど、 クアッドを作るのをやめたと聞いたよ。ジョッシュ・ホールとコラボレーションして作ったクアッドはまじでヤバいボードだったのに。
最近たくさんの人からそのこと聞かれるよ。答えはシンプルだよ。ただ僕自身が乗らないようなボードは作りたくないだけ。クアッドには6年も乗ってないんだ。20代の時、ジョンとマニーと一緒にいる時にちょっとだけクアッドに乗っていたけどね。僕のサーフィンって、ショルダーサーフィンで、大きくパンプしたり、長めのカットバックをしたりするスタイルなんだ。リップに強く当て込んだり、シングルフィンでできるような波の斜面でピボットしたりもしない。クオッドに乗ってたのが随分前だから、クオッドがどんな感じだったか細かいことは覚えてないけど、常に『ボードではなくて、サーファー次第』だって信じているよ。

もしかすると別のサーフィンのスタイルを確立するために、もっといいフィンを考えることもできたかもしれないけど、そこまでエネルギーもなかったし、実験し続けようなんて気にもならなかった。次世代のブライアン・バルクレイになろうなんてまったく思ってなかったね。バルクレイを批判しているわけではまったくないよ。僕は彼のようにクオッドでサードリーフパイプライン(ハワイのかなり奥地にある波が高く強く危険な場所)には突っ込んでいけないからね。僕のサーフィンの実力的にボードを上手く操ることができないんだ。だんだん時間が経つにつれて飽きちゃうから、何か違ったものを探すようにもなってたしね。クオッド以外のフィンのアレンジメントについて学ぶことは難しいし、家ではそういう気になれなかった。尊敬されているシェーパーやウォーターマンはみんな当時の僕なんかよりもデザインについてよく知ってたし、僕は全ての種類のボードを作っていた。つまり僕のスラスター、シングルフィン、ツインキールがクオッドほど上手くいく自信がなかったってこと。

アンドリュー・キッドマンもまたこの時期にとても大きな影響力を持った人だった。2009年の秋に彼と過ごした3か月間に、彼は僕に足りなかったものが何なのか気づかせてくれたよ。波はほとんどいつもとてもよくて、 あれほど波が安定してよかったことって、このとき以降は思いつかないね。初めて彼がサーフィンしているのを見たとき、力が入っていないけど爆発的にきれいなスタイルに大きな衝撃を受けた。ラリー・マビルが作ったFrancoの 5'10の黄色いスイフトムーブメントのキールに乗っていた。そして胸からウエストの高さ波までも乗りこなした。彼はクオッドなんて気にもしなかったし、僕にクオッドを乗るのをやめたらもっといい気分になれるって言っていたね。
それが僕の心に本当に響いた。アンドリューに関しては、ただただ僕は彼の言うことを信じるだけだよ。彼はそういうタイプなんだ。2日間のニュージャージー旅行でとくにそれを確信したね。アンドリューは6'1 Steve Lis keelに乗っていて、Francoはトム・パリッシュの神の手によって作られた今時のシングルフィン、僕はクリスから5'4のPavel Creekfishクオッドを借りた。僕のボードは全部数週前からボロボロだったからね。僕たちがスーツに着替えている時、パタゴニアを代表しているサーファーが波から上がってきてちょうど服に着替えてたんだけど、その彼がアンドリューに向かって"おい、そんな波に乗るのか?って聞いたんだ。アンドリューは首を縦に振って笑いながら"祈ってろ!"と答えると、あっという間にパドルしてラインまでたどりついた。そして彼はいい感じに向かって来た最初の波を一回転して掴んだんだ。

僕はまだ駐車場の中で準備をしていた。パタゴニアの代表も一緒だった。その時、アンドリューはやばいくらいに大きい波に落ちて、波が暴れたのもあって、そのまま溺れてしまったんだ。みんながよく大げさに言うけど、これはマジで本当にやばかった。 本当に深くまで溺れてしまって、彼のボードの先さえも見えなかったんだ。完全に危険なカーテンのうらに隠れてしまっていた。マジで彼が死ぬんじゃないかって思った。なかなかあがってこないから、波を見続け、サーフボードを探し続けて、彼が無事に脱出しているよう祈っていた。波が引くと彼の姿が見えて、まるで地獄から脱出したようだったよ 。パタゴニアの代表も本当に驚いていたね。そしたらアンドリューは僕らに向かって、「今がちょうど波がいいから、こっちこいよ!」なんて言うんだぜ。あの日僕らは 素晴らしい波を楽しめたね。

今振り返ると、僕もその日はギアーを最大限に活かしていい波に数回乗れたな。フィンがもう少し小さくてもっと細いボードに乗れたらよかったな、とも思うけど。ともかく、スラスター、シングルフィン、keelに乗り始めてからはそれらを手を離せなくなったね。スラスターに乗って数年経って頃、ちょっと飽きてきたりもして、次第に実際に自分で乗ってみることで作りたいデザインは次々と変わっていっていると思う。最近、Mick Mackie flex twinで3、4回セッションをしたんだけど、あのボードは夢のようだったね。テールがぐっと曲がった時に溜まるエネルギーの大きさは本当にヤバいよ。波に乗って、ボトムターンをして波の先に向かう時、ターボブーストみたいなスピードを感じるんだ。このボードをOzから配達してもらうのはかなり高くなっちゃうけど、もしお金があったら、Mickにflex tailを作ってもらいなよ。僕のサーフィンの経験の中でも、かなりよかった一枚だね。
最近顧客はどんなものを注文してる? 君自身はどんなのを作って乗ってるの?
フィッシュやシングルフィンをたくさん作っているね。その二つのデザインでNYはある程度いけるとおもうよ。こう考えよう。もしこの二つのデザインで上手く波に乗れないとしたら、君のサーフィンのスタイル自体を深く見つめ直した方がよくて、もしかしたら違うスポーツをした方がいいかもしれないね。時々クオッドを作ってとリクエストを受けるけど、もうクオッドやファイブフィンは作らないんだ。個人的に決めたことで、ボードを買いにきてくれる人たちは大体僕が作るものをよく理解してくれてる。僕のボードのラインアップはサイズが様々で、今は自分用に持ってるのが18枚ほどだね。その内いくつかは自分が作ったもので、他は影響を与えてくれるシェーパーが作ったもの。あとコンピューターでデザインされた6'0 channel islands Red Beautyと6'3 Black beautyもあるよ。

尊敬すべきトム・カレンのスタイルだよね。この二つのボードは本当に大好きで、手作りと手作りではないものの比較対称として必需品なんだ。私のコレクションに話を戻すけど、今少し作るのを止めないといけないと思ってるんだ。ボードを作りすぎててグラッシングをしきれないんだ。コスト削減のためにグラッシングを自分でやらないといけない。現在グラッシングが必要なボードは3枚あるんだ。一つ目は、5'11 channel Bottom single finでアーティストのランス・デ・ロス・レイズとのコラボレーション もので、二つ目は5'7のchanneled earsがついたthumb tail スラスターでアンドリュー・キッドマン とアイダ・フェイ・ジェントルとのコラボレーションもの、そして最後はエリース・エリクソンとの遊びのコラボレーションで彼はMatahari Twin Stingって呼んでるんだ。

前回エリスがニューヨークに来た時、彼は色々なデザインアイデアを置いていってくれたんだけど、このコラボのアイデアは過激で、二匹の大きなIPA風の毒クラゲがついたTWIN FINなんだ。二匹のクラゲの一匹は真ん中に、もう一匹は後ろの方に描かれていて、かなりおもしろくておかしなボードだよ。彼は自分用に作りたいと言っていたよ。一般向けには作っていないけど、もし欲しかったらエリスに連絡してみて!
最近はどこでボードを仕上げてるの?
ここ最近2年間はちょこちょこ変えてるね。本当に長い間続けてお願いできる人を捜しているんだけどね ---- お互いの技術レベルを高め合い、心を開いて率直に前向きな話ができる人をね。私のメンターであり同僚でもあるFaktion Surfboardsのマーク・ペトロセリはNature Shapesを2,3年前にやめて独立してからは本当に勢いづいてる。彼はボードのシェーピング、グラッシング、削りまでのすべてを自分で行いながら、僕のボードのグラッシングと削りもやってくれてるんだ。自分でシェーピングしたもののグラッシングまですることで、作品の精度もかなり上がるんだ。

ピルグリムで働いていると世界中の立派なシェーパーの作品が並んだラックを常日頃からよく見ることができて、自然と自分のためだけでなくて作品づくりに関わってくれている友人たちのためにもいいモノを作らないといけないなって思えるようになるんだ。Markのボードは今一番いいね。彼はベストなものを作ろうとする燃えるような情熱があって、本当に上手くやってる。みんなそれぞれに意見があると思うけど、僕はマークが東海岸では一番のシェーパーの一人だと思っている。マークはニューヨーク市内の他のシェーパーとの契約仕事はしないんだ。彼自身の作品に集中したいと思っていて、常にいいサイクルを保とうとしてる。彼のそういう点も僕は尊敬しているね。ラッキーなことに彼の洗練さと彼のサイクルのおかげで僕のボードも いい感じだよ。友達からのちょっとした助けのおかげでなんとか生き延びてるんだよ!
そろそろ本題を話そうか。ニューヨークのベストピザはどこだと思う??
NYのベストピザは間違いなくDiFara'sのピザだね。ドミニクはピザ界のスティーブ・リズかスキップ・フレイだね。他の意見がある人は私の留守電と言い合えばいいさ。それとブルックリンのマンハッタンビーチにあるPapa Leoneの"The South Brooklyn Bake"として知られるシーフードパイも忘れちゃいけない。かなり旨いよ。メニューに載ってないと思うけど(もしかしたら今は載ってる)、注文すべき一品だ。もしブリックオーブンで調理されたら、もうやばいねことになるね。店主のサルにジョーイ・クラムスに紹介されてSouth Brooklyn Bakeが食べたいんだけどって言ってみて!後で僕に感謝することになるよ! Joseph William Falconeにカスタムオーダーをしたい場合は,是非彼のページをチェックしてください。
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