JOURNAL

RUSS POPE'S LIFE LINES
JOURNAL #07
DATE : Oct 22, 2017
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JOURNAL #07 Oct 22, 2017

RUSS POPE'S LIFE LINES

- ラス・ポープの『Life Lines』 -
  • アメリカの偉大な作家ジョン・スタインベックは名作「エデンの東」の中で、東に"太陽と美に満ちた"ギャビラン山脈があり、西に"暗く、陰気な"サンタルシア山脈があるカリフォルニアのサリナス・バレーに賛歌をささげた。

    アーティスト、そしてスケートカルチャーのサポーターであるRuss Pope(ラス・ポープ)もスタインベックと同様、サリナスで育った。 伯父は画家・彫刻家で、アートの血筋を色濃く引き継いだポープは、学生時代に絵を描いてはスケートボード仲間やパンク仲間に見せ合った。そんなポープは今でも毎日絵を描き続いていて、Instagram(@russpope)に作品をポストしている。 彼の作品は本の中やギャラリー、スケートパークの壁画、Tシャツなどで見ることができ、自身のスケートボードブランド「Transportation Unit」もまた彼のアート作品の一環だ。

    ポープのアートにスケートシーンは大きな影響を及ぼしている。彼はアート活動と同じくらいスケートにも乗り続けていて、コンバースやバンズなど数々の企業とコラボするなど、スケートのコミュニティーとブランドをつなぐ架け橋の役割も担っている。

    社会的シナリオを新しく想像して、そこにユーモアが含ませるのが彼の作品の特徴だ。作品に登場する人物は、傾いたりうつむいたり、彼の故郷と同様に光と影が混在する。

    そんな彼が日本行きのフライトに搭乗する直前に、電話インタビューを行うことができた。 東京の「Pilgrim Surf+Supply」でポープによるポートレイトの作品26点の展示とグラフィックTシャツや帽子の限定発売が行われたため、その時彼は東京へと向かっていた。
リリースされた本について聞かせてください。
タイトルは「Life Lines」。毎朝起きたらコーヒーを飲みながら絵を描き始めることが日課なんだ。描き終わるとInstagramに掲載する。 そうして書き溜めたこの2年間の作品の中で気に入った162点を集めたんだ。デトロイト近郊にある印刷会社で高品質なアート紙に刷って 、ハードカバー本としてまとめたよ。
朝型なんですか?
いや、朝だけとは限らない。時間問わずクリエーティビティーが湧き出てくるから、電車に乗っている時とか日常的な生活の中でインスピレーションを感じたときには簡単なスケッチができるよう小さなスケッチブックを常に持ち歩いている。気に入ったスケッチがあると、絵画として描き直したりもする。
特に引き付けられる表現方法は?
作品はすべてスケッチから始まるから、ほとんどの時間はスケッチに費やしているな。絵を描くことが大好きなんだ。発作的な勢いで絵を描くね。だいたい、いくつかのスケッチを描き溜めてから実際に絵に取り掛かるんだ。ペンとインクのみでスケッチを繰り返して、デッサンを絞って、ようやくストーリーが浮かんでくる。展示会はそんな自分が表現したいストーリーを基に創っているよ。例えば、西海岸から東海岸への移住をテーマにした展示会では、ボストンをテーマに描いた。ボストンの建築、船、ウォールデン池、あとポロシャツみたいなあの特有のファッションをしている人々なんかを古風な付けペンを使って描いたよ。
作品に描かれるキャラクターや人物はどこからくるんですか?
ほとんどが実際にいるノンフィクションな人たちだね。でも、 自身の創造力を最大限に発揮してそこにフィクションのフィルターをかけてるんだ。例えば、電車やカフェで変わった会話をしている人たちに出くわした時、その人にアロハシャツを着せたり頭をはげ頭にしたりしたほうが面白いと思うんだ。実際に見たり聞いたりしたものに、自分なりの解釈を加えるんだ。
あなたの作品にはユーモアとともに悲しさも感じられます。
イタリアでショーを開いたとき、「苦悩の表情」と評論家に言われたことがあった。自分でも(自分の絵の)目や口元に悲しさを感じることがあるけど、なぜそうなるのかはわからない。もちろん目や表情を意図的に作ることもあるけど、目元の線の太さなんかはただ僕の作風のタッチの問題だったりする。苦痛を表現してるということもでいるけど、それは必ずしも意図的なものではないよ。
アートを創りだす衝動はどこから生まれるのですか?
叔父が画家だったため、アートに囲まれながら育ったんだ。彼は彫刻や絵画を制作してた。もとから色彩や形には惹かれていたね。アートとスケートボードは僕の人生にとっていつも普遍なもので、もちろん昔からドクター・スースの大ファンで、今でも変わらず好きだね。
幼少時代に過ごしたサリナスのサーフィンやスケートボード・シーンはどのようなものでしたか。
スケートボードシーンにはかなり熱中していたね。スケートボードの大会に出場するために移動も多かった。10代はスケートボードのデモを行うために毎年夏はツアーバスで巡回して過ごしたよ。アートはそんな中でも存在していた 。Zineカルチャーがでてき始めた頃だね。みんなでZineを作ったり、手紙を交換したり、Tシャツやスケートボードに絵を描いたりしてクリエイティブだった。当時はスケートボードはまだマイナーで参加する人の数も少なかった。でも今はスケートボードは完全にアスリートレベルに達してて、スケートボーダーはX Gamesに参加するし、ツアーをして、リーグを創ったりしている。もうすぐオリンピック項目にもなるよね。

今やスケーターは アスリートとして扱われているけど、僕はクリエイティビティを表現するはけ口としてスケートボードを始めた。スケートボードに乗ることで見たことないものや場所、出会ったことがない人々に遭遇することができる。スケートボードとアートを通して世界中に輪が広がって、出会いから何年、または何十年も続く友情もある。スケートボードは僕に新しい知識をあたえてくれたり 友達とのネットワークを拡大させたり世界的なコミュニティを創ってくれる乗り物なんだ。僕と同じアプローチをもつスケートボーダーももちろんいると思うけど、今ではスケートボードがほとんどありきたりのスポーツになってしまったように感じるね。
アートとスケートボードは常に混在していますか。
二つは別々でありつつ調和してると思う。過去にオーナーだったスケートボード会社でアーティストに仕事を依頼してたことがある。プロダクション・アートは避けてきたけど、時々数量限定のアートボードを出すこともある。その一方で、自分のアートのスケートボードブランドも立ち上げたから矛盾を感じるかもしれないけど、 それは自分が創りたいと思ったものを自分の時間で創っているだけのブランドなんだ。意図的に小規模にすることでアーティストとして過剰な要求に応えないで済むようにしている。 ただ絵を描き、作品を創りたいだけで、決して商業的なことをしたいわけじゃない。 これまで自由に活動できることができたことはラッキーな事だと思ってるよ。
カリフォルニアからボストンに移住されましたが、作品や作業になにか影響がありましたか? マサチューセッツ州に住み始めてから作るアートが変わったと思いますか?
場所や環境には大きな影響を受けているよ。「Come on Pilgrim」というアートショーを開いたんだけど、ラグナにあるプール付き、やしの木に覆われた1960年代のクラシックな牧場の家からボストンのバックベイにある七階のアパートに引越したとき、市内を巡り歩くようになった時のものなんだ。ボストンはいい感じなんだけど、(前の暮らしとは)かなり違った。ボストンは他のどことも違って、ニューヨークともまた違うね。新しい人たち、音、景色。すべてがアートに反映される。あと、ボストンでは冬の寒さと雪を逃れるために、スタジオで作業をする時間も多くなった。カリフォルニアは冬でも天気がよくて暖かいから、ビーチで一日を過ごしたくなることがよくあったよ。
スケートシーンはどうですか? ボストンでのスケートボードシーンと比較すると違いますか?
ボストンのスケートボードシーンはちょっとがっかりしてるんだ。人が悪いわけじゃない。みんないい人たちばかりでコミュニティーも温かくて、ここのスケーターたちのことはとても気に入ってる。カリフォルニアと比べ、スケートができる場所が少ないんだ。カリフォルニアでは甘やかされてたんだな! Vans社が所有するビルにある70フィートのブーメラン・ランプに いつでもアクセスできるよう鍵を持ち歩いていたし、Stance bowlも最高だった。ボストンは別世界でスケートパークは最悪だよ。ボストンのスケートボーダーをけなすつもりはないよ。彼らに聞いても同じことを言うよ。とある不動産のデベロッパーがひどいスケートパークをいくつか容易に建てては市に巨額な金額を請求したりしているようなところさ。スケートボードを気持ちよく乗れる近代的なスケートパークは結局一つ、二つしかない。ボストンのスケートボーダーは本当に楽しい仲間たちだけど、カリフォルニアとは違ってスケートボードに乗れる場所のオプションが限られてる。
スケートボード以外に若手アーティストとして影響を受けたものはありますか。
音楽からは常に影響を受けてる。音楽を聴くことでムードが一変するんだ。そのとき聴いていた音楽が筆を通して直接キャンバスに反映されたことも多々ある。頻繁にThe Clashの音楽をかけているよ。The Clashのトリプルアルバム「Sandinista!」の次にRobert Johnsonの「Howlin' Wolf」。それからブルーグラス系、Grateful Dead、そしてWitchとかHigh on Fire、Slayerみたいはヘビーなのへと聞き続ける。いろんなタイプの音楽を聴くよ。10代のころはこんなに多種類じゃなくてスケートボードと同義的だった古いパンク・ロックばかりを聴いていた。 Bad Brains、Minor Threat、Black Flagみたいな曲を聴く典型的なスケートボーダーだったよ。
育ったカリフォルニア州でのスケートシーンはどのようなものでしたか。
スケートボーダーもパンカーも少なかったから、一緒につるむようになったというのがよく語られるストーリーだよね。パンクロックが好きな5人と、スケートボードに乗る5人が仲良くなって、10人のグループになった。音楽を聴いたり、一緒にアートを創りったりしてた。中学時代、クラスメートに自分と同じぐらい絵を描いていたヤツがいて、授業中よく描いた絵を交換しあった思い出もあるな。授業には集中しないで、互いが描いた絵を互いに完成しあったりしてた。緊密な友人関係だったよ。さっき言ったみたいに、当時のスケートボードシーンはもっとクリエイティブな環境だったんだ。もちろん今もスケートボードシーンにとてもクリエーティブな人たちは存在するけど、スポーツの一環として捉える人がほとんどになるほどスケートボードは大きくなってしまったと思う。
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